TOHOKU IGNITION 2017 DAY4

Date :
2017.12.07
Place :
Liful table:東京都千代田区麹町1-4-4 1F
Event Summary :
「課題に挑む東北の2名の挑戦者からBeingを学ぶ」 〜 10代目醸造家 + 高校教師から起業家に転身した2名のBeing 〜
課題先進地となった東北では、震災をきっかけに自らのBeingを捉え直し、様々な形で社会課題・地域課題に取り組んでいる方が増えています。

今回は「ハーバードはなぜ東北で学ぶのか?」の著者、山崎繭加様をモデレーターにお迎えし、同書に掲載されている起業家2名のゲストと共に、それぞれのBeingをお話いただきます。

いま、ハーバードも注目し、その教育プログラムの中に取り入れているBeingの概念を理解し、自らの Beingを探求するきっかけとなるイベントを目指します。

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12月7日(木)、東北の起業家の熱を伝えることで、東北の魅力を発信するイベント「TOHOKU IGNITION」が開催されました!

今回は、今年のTOHOKU IGNITIONの集大成となる第4回についてお伝えいたします。

TOHOKU IGNITIONとは

TOHOKU IGNITIONは、東北の「面白さ」や「多様性」を伝えるために、仙台市が2017年9月〜2017年12月に4回にわたって都内で開催するイベントです。課題先進地である東北で様々な取り組みを行う起業家をお招きして、毎回異なるテーマで開催しています。

第4回のテーマは”ハーバードも注目する東北の起業家たちのBeingとは”。


2名の方をゲストにお呼びして、アツく語って頂きました。

第一部 パネルディスカッション

開会に先立ち、仙台市経済局産業政策部地域産業支援課 起業支援担当主事の今野よりイベント趣旨についてご説明しました。

今回のモデレーターは「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」の著者であり、華道家でもある山崎繭加さん。イベントは山崎さんの自己紹介からスタートです。

山崎さん:「華道家の山崎繭加です。華道家としての活動を本格化する前はハーバードの大学院であるハーバードビジネススクール、略称HBSで働いておりました。ゲストの紹介に移る前に、私の経歴を交えつつ、なぜ東北とハーバードのつながりが始まったのかという事についてお話ししたいと思います。

100年以上続いてきたHBSですが、2009年のリーマンショックが学校に大きなインパクトをもたらしました。金融危機を起こした仕組みを作ってきたリーダーの中に、多くのHBS卒業生がいたんですね。学校の教育方法を考え直すべきだと改革が始まったのです。

その中で『Knowing,Doing,Being』というフレームワークが採用されました。人生のコアになるのは、結局自分が何者であるか、どのような価値観や信念を持っているのかという『Being』である。Beingが分かったうえで、初めてやることDoingがきまり、そのうえで必要な知識Knowingを獲得すべきだ、となったのです。

震災後、ご縁があって東北の方々とつながる機会がありました。その中で東北で頑張る皆さんに魅了されて、ぜひHBSの学生に東北の起業家から『志』や『Being』を感じてほしいという個人的な思いがあり、学生を東北に送り込むプログラムの企画を担当していました。

今回お呼びしたお二人は、このプログラムで学生を受け入れてくださった志を持つ方々です。」

ゲスト自己紹介

太田さん:「皆さんこんばんは。大七酒造の太田英晴と申します。創業から265年の歴史を持つ大七酒造の10代目として生まれました。大七酒造は福島県二本松市という城下町にある、昔ながらの酒造りにこだわっている蔵です。

当蔵では「生酛(きもと)づくり」という、1700年前後に完成された伝統的な手法でお酒を醸しています。明治以降には山廃酛(やまはいもと)、速醸酛(そくじょうもと)という作りかたも出来ています。その中でも生酛(きもと)づくりはじっくりと時間がかかる醸し方です。

伝統の一方で、お酒の品質のために超扁平精米という革新的な精米法の開発もしています。お米は外側よりも中心部の方が不純物が少なく、きれいなお酒が作れます。これまでの精米だと、縦長のお米の中心をきれいには取り出すことができませんでした。

伝統と革新を織り交ぜながら酒造りを行い、海外市場にも日本酒を送っています。オランダの王室晩餐会や、2008年の洞爺湖サミットでも乾杯酒に選んで頂きました。」

亀山さん:「一般社団法人浜のねの亀山貴一です!まずは意気込みから!今日のイベントは『東北にこんなに可能性がありますよ』いう魅力を伝えて、皆さんががっつり東北に関わってくれるような会にできればと思っています。

私は石巻の牡鹿半島の蛤浜出身です。浜で暮らしたくて戻ってきましたが、震災で今は5人しか住んでいない限界集落です。もともとは水産高校の教員でしたが、何とかこの地域を持続可能にしたいと思って、いろいろな活動をしています。

震災後、『こんな浜にしたい!』と絵をかいて様々なことを計画していたんですが、お金もなかなか調達できず、仲間に助けてもらってマンパワーで古民家を改装してカフェを開業しました。他にも、地域資源を生かしたアクティビティや、ジビエや魚介類を使ったBBQ、林業・狩猟の6次化、WSなどをやっています。

とはいっても、浜はまだ地域課題が山積みです。特に1次産業を復活させていきたいと思っています。交流人口だけでなく関係人口等を増やしたり、社会課題をビジネスにしたりしていければと思っています。」

パネルディスカッション

テーマ1:東北×HBSで生まれた学びとは

山崎さん:「ではまずは一つ目の質問です。実際にお二人のところにHBSの学生がやってきて、どんなことを学生が学びとったと思われましたか?お二方が学生から何を感じたかもぜひ教えていただきたいです。」

太田さん:「まず、HBSの学生の皆さんは、東北人の忍耐強さを感じてくれたのではないかと思っています。私たちのような伝統的な経営は、HBSで学んでいる経営とは違うのではないかなと思います。老舗の経営は、ひたすら持続して価値を出し続けること、それから地域の雇用を大事にすることがとても大事です。短期的な利益や売上を目的にしてない経営は、へんてこに見えたのではないでしょうか?その価値観の違いを感じていただけたのではないかと。

私が学生の皆さんから感じたのは、まず非常に賢いというところです。日本人にありがちな枝葉の各論から話すようなことはしないで、大前提から論理的に順々に積み上げていくところにとても感心しました。しかし、頭がいいけれどもとても誠実で、素直で、その部分もとても強く感じました。プログラムの中で我々の蔵や、私自分の身に寄り添って考えてくれていることをひしと感じました。」

亀山さん :「まずはビビりましたよね(笑)蛤浜にハーバードの学生が何をしに来るのかとざわざわしました。そんな!教えられないよ!って(笑)。

学生の皆さんにとっては、カルチャーショックだったんではないかと思っています。太田さんもおっしゃっていましたが、HBSの考え方だと僕の蛤浜のカフェは立地の段階で100パーないよねとなるはずなんです。お金になりそうにないことを拾い上げてやるのは、狂っていると感じたんじゃないかと。

その意味では、市場や競合を分析して、その中で優位になりそうな自社のサービスを決める「アウトサイドイン」ではなく、東北は「インサイドアウト」の考え方で、効率的でなくても強く想いを持ってやっていくということを感じられたのではないでしょうか。

私がHBSの方々に感じたことは、とってもナイスな人達という事でしょうか。世界のトップで本当に頭もいいけど、何を話しても真摯に受け止めてくれて、現場の意見をくみ上げてあげて、要点をたった三日で分析していってくれました。柔軟に素直になんでも受け止めていく姿勢が素晴らしかったです。」

山崎さん:「私からも一言。HBSの学生は色んな事を学んだようですが、象徴的な感想もありました。ある学生は『HBSは資本主義の総本山。教育方針が変更された後もどうしてもBeingではなく株主利益をいかに上げるかに議論がいっていました。東北の起業家に触れることで、志の大切さを痛感し、自分の心にも火が付きました。』との感想を述べていました。まさに、お二人のような方に刺激を受けた結果だと思います。」

パネルディスカッション

テーマ2:お2人がビジネスをする上で大切にされていること

太田さん:「伝統を引き受ける生き方を選んだということを忘れないようにしています。

若い頃は、『東大を出て家業を継ぐことは迷わなかったの?』とよく聞かれました。家業だからといえばそれまででしたが、初めのうちはは楽しい数年間ではありませんでした。というのも、20~30年前当時の日本酒業界はがんじがらめで、「特級」「一級」「二級」と酒の等級が決まっていました。また、それに応じて値段も決まっていたので、酒蔵が何か面白いことをやったり酒質を改善する努力をしてもそれがお酒の価値に反映されにくかった。

吟醸酒ブームというのもあって、きれいで癖のないお酒で金賞をとると注目されて売れるというような状況でした。その風潮の中では、うちの生酛(きもと)は金賞にならない。現代製法の癖のない酒を造る速醸酛(そくじょうもと)が手っ取り早い道だという勧めもありました。

しかし、大七が辞めたら日本中から伝統の酒造りがなくなってしまう。『今の風潮は一時的なものだ。みんなの価値観が生酛(きもと)のような酒に戻ってくる時が必ずくる。その時のために伝統を守る側に回ろう。』と。今は貧乏くじかもしれないけど、伝統を大事なミッションとしてやっていこうとその時に決めました。」

亀山さん:「自分の想いを大事にすることでしょうか。

振り返ると、子供の頃からそうでした。漁師になりてぇ!と思いながら、親に公務員になれと言われて育ってきました。でも魚の研究をしたかったので水産高校へ行きました。この時もヤンキーばかりでひどいから止めなさいというのは言われましたが、『水産がやりたいんだからいいんだ!』と言って。

水産高校の教師になってから、故郷の蛤浜に戻ったんですが、『なんで過疎地に戻るの?』というのもよく聞かれました。でも、好きだったからなんです。それだけだと思っていました。高校に勤めながら、浜で妻と暮らすのはとても理想的でした。震災で妻と子供を亡くして、その後、又、教員として再起して再婚する..という選択肢もありましたが、『浜を残したい』とふつふつと湧き上がってくる思いがあってカフェを始めました。

自分の生き方を誰かのせいにしたくないなと思っています。「時代の流れ」とか、「人が言うから」とか、色々と言い訳するのではなく。自分の気持ちに正直に、わがままに生きていけたらなと思っています。でもそれは難しくもあるので、そのためにどんどん自分もパワーアップできればと思います。」

パネルディスカッション

テーマ3:Beingを一言でいうなら?

太田「一言では難しいですね。言う前に、うんと長い前振りがありそうなんですが(笑)

家を継ぐと決めた当時、伝統を守るのではなく、気楽にやれと言われれば楽だったのかもしれません。しかし、そうではありませんでした。当時はつらかったですが、その伝統の価値に気付いたとき、『なんてよいポジションにいるんだ』と感じられました。世の中が生酛(きもと)の良さに気付いてくれれば、日本一に一番近い距離だなと。生酛(きもと)の第一人者になって、世間の目を向けさせる長期戦略を作って来れました。

何代も続く酒蔵のような伝統的な仕事では、自分の個性を前面に打ち出して成果を出すこともできますが、それは続いてきた伝統的な価値とは相いれない。私は、伝統の中では、自らの個性は出さずともにじみ出てくるものだと思っています。何代も何代も続く、長い川の流れの中で水が加わって太くなっていくような酒造りの中で、普遍的な価値に関与する。

ナマの個性がギラギラした価値ではなく、そういった価値にあやかって、継承していければ。だからこそ「無私」が私のBEINGです。」

亀山さん:「『Being』、難しいですよね。僕も辞書で調べたりもしました。(笑)

私は震災を経て『蛤浜を残す』という、自分の生存価値とか役割とか、自分の人生のミッションのようなものができました。その中で特に自分の役割はバッファ、緩衝剤だなと感じています。

水産の研究をしてた時によく使ったんですが、バッファというのは化学反応を起こすのを助けるものなんですね。混ぜただけではうまく反応しないものを、バッファ液を加えることで化学反応がスムーズに起こります。

地域のなかで活躍する素晴らしい人や、ハーバードの人などが関わってくれてなんとか地域を盛り上げようとして頑張ってくれるんですが、地元の人たちと良い関係性ができずうまくいかなかったりします。価値観や個性が異なるため、思いやアイデアやスキルがあってもマッチしなくてうまくいかないんですね。

そこで自分は、人をつないで化学反応をおこさせる役割だと思っています。自分のルーツがなくなるのはさみしいなと思っています。これからも浜をずっと残していくために、バッファ役として人と人をつなぐことが自分の存在意義であり、『Being』だなと感じています。」

パネルディスカッション

テーマ4:東北の可能性とは

山崎さん:「ありがとうございました。最後に、お二人の考える東北の可能性についてお教えください。」

亀山さん:「イノベーションが起こりやすいところだと思っています。というのも、それには二つの理由があって。

まずは、危機感がすごいという事です。震災を経て、地元の人たちの考えも大きく変わりました。このままでは、なにかしないとヤバい!と感じています。そういった地元の意識に加えて、震災を機に東京などほかの地域から人が来ているのは感じています。

もう一つは、挑戦するうえでのリスクが少ないという事です。東京は人も物も密集していてビジネスを始めやすいけれども、お金がかかったり、失敗すると再起が難しかったりリスクも大きい。東北だと立派な一軒家をタダでもらったりするんですよ、あとは、山要らないか?お金あげるから何とかしてくれとか(笑)信じられますか?素材がその辺にたくさん転がっていて、原価も全然かからなかったりします。

そういう意味で、チャレンジし甲斐がある場所だと思っています。特に東北でというと「関わる余白」と「挑戦しやすい環境」があるのかなとも感じます。」

太田さん:「飲食やお酒といった業界的な目で見ると、東北には食材や素材の豊かさがあると思っています。一方で課題としては、いいものはあるけれど築地に送られてしまっている。その土地らしい、土地ならではのものを食べさせてくださいと頼むと、大体は家庭料理になってしまっています。家庭料理も良さはありますが「東北に食文化在り」とお金を落としてもらう吸引力を持つには、東北の中で食文化のピラミッドの頂点を極めたものを作りたいと思っています。」

会場からの質問

山崎さん:「ゲストお二人の『Being』から東北の可能性が垣間見えたディスカッションでした。会場の皆さんから何かパネラーの方へ質問はありますでしょうか?」

Q1 震災は東北だけでなく起こったのに、東北以外でお二人のような方が何人も出てくるムーブメントはあまり起こっていない気がします。なぜ東北で起こっていると感じられますか?

太田さん:「震災は、本当にものすごい揺れでした。それが終わった時に、世界が変わったなという感覚を感じました。今までのなにごともなく、自動的に明日が来るような日常は幻想だった。今までのことがゼロになって、すべてやり直さなくてはいけないことが起こりうるんだと感じました。

地震の直後はこういった、精神的な覚醒が東北中の広範囲で起こったと感じています。命が失われる可能性があるというリアルな危機感でしょうか?そういう感覚的なものが何か人々を揺さぶったのかもしれません。」

亀山さん:「近代化した社会で、最も大きな災害だったからかなと感じています。阪神の時はなんとなくテレビの中の世界と感じられていたかもしれません。でも、今度は東京でも揺れて、生活にも影響が出て、みんなが自分事に感じた。だから、ボランティアで多くの人が集まったんではないでしょうか。単純に東京に近いのもあるかもしれません。何かしなくてはという想いを東京で持った人が動きやすかったのもあるのでしょう。

それから、課題ですかね。東北は日本の中でも特に少子高齢化が進んでいる。これから日本や世界の様々な地方が直面する課題を先取りしています。震災で顕在化した東北の課題をどう解決していくかが、未来に生きると感じています。だからこそ課題に取り組む人が増えているのでしょう。」

Q2 お二人は10年後20年後、どんな世界を考えているのでしょうか?

亀山さん:「今は常勤のスタッフが8人いますが、浜をみんなが自分らしく働ける場所であり、暮らせる場所にしていきたいと思っています。いまはスタッフとして雇用していますが、守られる部分と、縛られる部分がある。もっと各人が、自分のやりたいことや実現したいことを自由に仕事にしていって、独立していけばいいと思っています。最後は『みんな、解散!』みたいな(笑)そういった人材があの浜で育っていけばと。

それから、これからは地方も都市も関係ないと思っています。はじめは浜に移住者が増えてくれればと思っていました。でも、浜だけでなく、日本の全部の地域が残っていけばと思っています。そのために、関係人口のように自分の拠点を何か所ももって、人口が減っていく中でもみんなで移動しあいながら暮らすようになっていけばいいなと思っています。」

太田さん:「日本酒は今、日本から輸出される食料品の第5位に位置しています。日本市場ですでに低迷が始まっていたので、海外を早くから目指していました。今、その成果が出てきています。広い海外のフロンティアを持っている。これは日本酒と和食とを広めやすくするでしょう。

また、海外の作り手や販路も増えてきている。最近イギリスでも夫婦の方が始められたり、スペインやノルウェーの現地の方が作ったりもしている。そういった日本酒の広がりも期待しています。

福島でいうと、時が放射能の問題を解決してくれれば、何かが始まると思っています。今、山にはマツタケが山のように茂り、シカやイノシシもいたるところにいる。でも、誰も取りにいきません。20年30年と経って、福島の豊かな食と酒が広まっていくことを考えています。」

第二部:懇親会

第二部はみなさまお待ちかねの懇親会。東北の旨いものを集結させました!

松島の牡蠣と魚。

日本酒はもちろん太田さんの酒蔵「大七酒造」のお酒をご用意。

東北の旨いものと日本酒で、参加した皆さんの顔もほころんでいました!

終わりに

いかがでしたでしょうか?4回にわたるTOHOKU IGNITIONの最後にふさわしい、中身のいっぱい詰まったイベントになったと感じています。

昨年度から引き続き、多くの反響をいただいております。次年度以降も継続させていきたいと思いますので、ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。